最近、知識・技術的には格差はあるものの、お客様に正直で真剣に取り組む蕎麦屋が全国的に増え、10年前に比べると格段に良い蕎麦屋に出会う確率が高くなっていると思います。
 だだ、当店も含め、新参店の知識・技術はまだまだ手探りの状態で、どん栗の背比べの段階と判断され、もっと多くの先人の教えの豊かさに気付き学ぶ必要があると思います。
 わが国は、戦後、産業の高成長時代に入り、多くの産業界において、機械化・効率性を重視した生産が主力となり、高精度・高品質製品の製品を産み、大きな成果と驚異的な進展をした経緯があります。
 蕎麦業界も跡取り問題や労働力不足により機械化が進み、昭和中期頃に手打ち蕎麦という名称が生まれ、最近では、純手打ちや本格手打ちと称する看板を掲げる蕎麦屋が見受けられます。
 機械打ち、機械切りの蕎麦を手打ち蕎麦として提供する店が依然多く、恥ずかしい話ですがこの業界も消費者に対し、ごまかしや嘘をつき、手抜き蕎麦を平然と出す狸、狐、狢のような蕎麦屋がかなり存在しております。
 原材料である玄蕎麦の生産も、栽培品種の増加や作業性・付加価値・労働力不足等の理由や農業技術の向上や機械化・安定収穫・軽作業化に適した安定価格の米や高価格が望める野菜・果物や花の生産に切り替わった事や、 道路交通網の整備充実に伴う土地価格の上昇から農業離れの進行も加わり、極端に国内における蕎麦の栽培が減少したと言われております。
 ただ、蕎麦の消費は、経済成長に伴い安定した形で増加しており、国内の不足分を補う形で海外からの輸入が増加し、価格の低下に伴い本州における生産が一部産地を除き、 農家個人の消費目的とした栽培に著しく縮小したため、北海道・九州においての生産比率が急激に増加したと聞いております。
 この事から、蕎麦切りの味や蕎麦職人の手打ち技術の低下は著しく、看板倒れの蕎麦店や逆二八と言われる蕎麦切りも出回った時期もあると聞いております。
 ただ、昔ながらに蕎麦職人の技術や味を200年、300年と伝統的に継承してきた薮、砂場、更科等、幾つかの有名な流れもあり、暖簾分けの習慣から全国的な広がりをしておりますが、 独立後の2代目、3代目等の後継者の資質から機械化や利益中心に動く店もあるらしく、同じ系統でもかなりの格差があると聞いております。


石川県においては、昔から蕎麦よりうどんを好む地域であり、うどんと蕎麦の両立する店が多く、お多福、加登長、まつもと、とらや等の名称で暖簾分けによる系列・協力店としての広がりが現在でも馴染み深く存在しており、 日本各地においても、私の知らない名称で、色々な流れや広まりがあると思われます。
 蕎麦の栽培は、信濃一号を主体とした北海道産ボタン品種への改良等が有名ですが、現在も各地で早稲物、秋蕎麦等いろいろな品種改良が進められており、昨今、 蕎麦への認識や人気の高まりに加え、減反や村おこし等の政策から各地で蕎麦栽培と手打ち蕎麦の組織的な動きが高まっております。
 又、蕎麦屋が初心者でも開業しやすい仕事と思われやすく、リストラや転職による蕎麦屋の開業が全国的に急増しておりますが、比較的に40〜60歳と年配者が多く、大変、 真面目に手打ち蕎麦を提供する努力をされている所が多いのですが、まだまだ一方に偏った考え方で蕎麦職人としての基本を十分理解している方が少ない気がいたします。
 逆に、16〜35歳の若年・若手層では、有名店で蕎麦職人としての修行をする方が増加しており、蕎麦店の後継や新規開業をする店も増え、親父は手打ちできないが、 息子は手打ちができると言う変な現象も起こっている状況で、全体的にこの業界を見てみると、何か、新規開業の年配者は自由奔放に、若手が職人として枠にはまった蕎麦を打っているような気がいたします。
 盆踊りで、老若男女踊りの好きな方が増え活気が出てきているものの、年寄りは忘れ去られた昔懐かしい踊りを追い求め、結局は、確立とした基本もなく自由奔放にアレンジして、 自己満足と開き直りに似たお踊りを踊っている人が目立つのに対し、若手は、色々な踊りの先生の後に並び、威風整然と基本通りの踊りをしており、まだ、自己主張や個性に欠けている事を知りながらも踏み出す自信がない状況で、 観客として観れば、年寄りは特徴があり大変面白いが踊りが汚い、若者はきれいで気持ちが良いのだがちょっと物足りない感じだと思われます。
 ただ、踊りの輪を全体的に見渡すと支離滅裂の状態のようで、観客が戸惑っているような感じが、今の蕎麦の業界に当てはまるように思われます。
 わが国には、蕎麦に係る豊富な歴史があり、蕎麦職人としての卓越した技法が存在しておりますし、手打ち技術にも色々と優れたものが幾つもあり、 田舎の爺さん婆さん独自の手法も全く軽視できない点もありますが、蕎麦職人の技術・理論とは格別しており、各種スポーツにおけるプロとアマチュアの違いにも似ている感じを持ちます。
 蕎麦職人は、江戸時代にその基本技術が確立しており、その理論も長年の実績に基づかれて継承されてきたもので、昭和中期までの先人の知恵と努力の結晶と思われます。
 当時は、今、名人と言われる方の技術を有する職人はかなり大勢いたと考えられ、当時の名人の仕事は現在の数段上で、確立された独自性も持っていたと推測することができます。
 当然、お客である蕎麦通の口も格段に厳しく、今の蕎麦切りの現状は、安全面・材料・技術・バランスある個性・それを的確に評価できる蕎麦通のレベルや数等、全てにおいて低下していると思われます。
 私ども蕎麦屋も一旦低下した実情を厳しく受け止め、蕎麦切りの美味しさを広める努力が必要であり、色々な蕎麦切りの特徴や美味しさ・味わい方・楽しみ方を多くの人々に心から理解していただけるよう、 まずは美味しい蕎麦切りの提供に向けた知識・技術の研鑽に励む事が大切と考えます。
 如いてはその努力が蕎麦業界の将来に繋がり、今後、他の業界の手本となる継承ができればこの上なく、今の日本に一番必要で、欠けている点でもあると思います。